どこに行くツアーか忘れたけれど、何かのツアーに参加した。
旅行中どこかのテーマパークのようなところに立ち寄ることになる。
これはその時の話である。
駐車場から園内の入口まで廃墟となった工場を通り抜ける作りになっているらしく、バスから降りると一向は工場内に入った。
中は噎せ返るような油の臭いが満ちていて、金属が錆びた臭いもしていた。
階段を上り、細い鉄板の通路を進んでいく。
靴で蹴る音が響く。
私は嫌な予感がした。
単にこの細い通路で列をなして歩いている状況で、私が最後尾だったからかもしれない。
余所見をしていると、下の階に錆びた鉄板で覆われた小屋が見えた。
工場の管理室のような建屋で、入口の窓ガラスに人影が映る。
園内の係員だろうと視界から外しかけたが、中から出て来たのが黒い服の女性だったからもう一度見てしまった。
彼女の手には大きめの注射器を持っているように見えた。
悪寒がした。
彼女がこちらを向いたのだ。
無表情だったが瞳が獲物を捕えたような鋭さがあった。
嫌な予感が的中しそうである。
一行が歩いてきた道を彼女は追うように向かって来たからである。
怖い。
怖くて振り向けない。
でも気配が迫って来ている気がした。
「あの子は料理が出来るんだったな」
後ろから中年くらいの女性の声がした。
振り向いて確認するまでもない。
確実にそこまで来ている。
勇気を振り絞って前の人に話しかけた。
走るのは無理でも、せめて早足で行かないかと。
しかしそんな悠長な暇もなかった。
何となく通路の端いっぱいに後ろから来た気配を躱すと、あの女性が今私が話しかけた人を捕まえたところだった。
悲鳴が辺りに響き、一行が一斉に振り返った。
伝染する悲鳴。
注射器を持つ女性の目は血走っている。
針が腕から抜かれる。
注射を終えた女性の目がこちらを向いた。
動けない。
怖いから動けない。
それもあったが、背中に圧力を感じたからだ。
後ろの人、つまり今まで前の前を歩いていた人が私を抑えつけていたからだった。
私は敢え無く女性に捕まり、右腕に注射針が刺し込まれた。
同じ針を使い回すのかとか今そんなことを考える余裕もなくて、注射器の中身が体内に入っていく感覚に吐き気がした。
女性の目が私を抑えつけていた人に向いた。
注射を終えたらしく針が抜かれ、女性が次の人に手を伸ばすが、その手は誰も捕まえることはなかった。
刺された人も私も含めた一行は全速力で走り出したからだった。
階段を下りて広いところに出た。
機材や材料を搬入するところのようだ。
最後尾の私たち(確か三人)は、皆が消えたことに動揺した。
振り返ると暗い屋内に同化した女性が追いかけて来ているのを見つけた。
足が遅いようだが油断は出来ない。
不意にエンジンの音が響いた。
工場内に響き渡るくらい大きな音だ。
ブレーキの音とともに曲がり角を荷台の付いたトレーラーのような車が現れた。
運転席の男性、多分最前列にいた人が大声で呼びかけてくる。
「これに乗れ!」
私たちは顔を見合わせてアイコンタクト。
その内に停車したそれの荷台によじ登った。
アクセルを踏んでエンジンを噴かすと走り出した。
工場を出ると外は晴れていた。
油の臭いもしなくなり空気が綺麗で、一人が伸びをした。
少し余裕が出て来て辺りを見渡した。
小型のバスが広い荷台をつけているような変な車だった。
伸びをしたのが外国の青年で、私を抑えつけていた張本人である。
もう一人が注射された同い年くらいの女性だった。
英語のアナウンスが流れた。
聞き取れなくて女の人が青年に聞くと「園内には50分いる」そうだ。
注射したところは変化がなくて逆に怖かったけど、もう一人の彼女も同じく変化がないらしい。
揺られていると遠くに走り回っている人が見えた。
その後ろを一回りも二回りも大きい人が追いかけていた。
「鬼ごっこみたい」と女の人が呟いた。
私も頷いてその様子を見守る。
すると前のバス部分から声がした。
「あれに捕まると終わり」らしい。
やはり鬼ごっこかと納得していると、追いかけていた大きな人が獲物を見失った。
見回して、近くにいた別の人に標準を切り替えて走り出した。
周りの人は追いかけられていなくても、大きな人を見かけたら直ぐに逃げ出している様子だった。
また英語のアナウンスが流れた。
青年が「よい旅を」だと教えてくれた。
また嫌な予感がした。
私を含めた三人は同じことを予想したのか顔が青くなる。
フェンスに囲まれた敷地から外に出た。
ゲートらしいゲートはないが、これで園内に入ったのかもしれない。
1グループに一人、鬼役だろうか大きな人が付くそうだ。
と言ってもその人にも追われるけど他のグループを担当している大きな人にも追われるという仕組みらしい。
逃げ切れる自信が全く湧かなかった。
するとバスの前を大きな人と追われている人が横切った。
そのまま路地に入ったのか暫くして大きな人だけが出て来た。
大きな人は見回している。
獲物を見失ったんだと思った。
あ、とその人と目が合った気がした。
勿論気のせいではなくて、こちらに向けて走り出した。
姿勢のいい走り方である。
予感は再び的中しそうだ。
拳を握りしめた女の人が提案した。
「このままだと私たち、また真っ先にやられるわ」と。
確かに先程と同じシチュエーションだった。
三人は顔を見合すと意を決して荷台から飛び降りて、バスとは違う道を持てる力の最大限で走った。
急いで物陰に隠れて、そっとバスを探すとそれを追いかける大きな人の姿があった。
全く負けていない。
もう少しで手が届きそうだ。
と、曲がり角を減速せず曲がった瞬間バスは横転した。
大きな人があっという間に追いつき、バスの扉をこじ開けると人を一人摘まみ上げ、背中の籠に放り込んだ。
ゾッとした。
流石にパーク内で死にはしないだろうが、捕まったら終わりという単語が脳内をぐるぐる回った。
「やっぱりもう園内に入ってるのかな」と私はぼやいた。
「じゃあ50分もここにいなきゃならないの?」と女の人が頭を抱えた。
直ぐ近くで悲鳴が聞こえた。
そちらを見たら別の大きな人が追いかけている姿があった。
正に地獄だ。
この中に大きな人が何人いるか分からない。
担当のグループの所要時間が過ぎたら一人減るが、新たにグループが入ればまた大きな人が導入されるのだろう。
実質減るどころか増える方が多い気がする。
園内に英語のアナウンスが流れた。
「チキンよりビーフが好き」と青年が訳してくれた。
唐突過ぎて何の話は全然分からない。
「牛肉料理が鍵らしいよ」と彼は笑って付け足した。
「彼らは牛肉が好き。どうにかして牛肉料理を与えれば活路がある、ということじゃない?」
女の人は彼の言葉を要約した。
私は料理という単語に聞き覚えがあった。
あの注射器を持った不気味な女の人が言った言葉だ。
「先ずは牛肉を調達するところからだ」と三人は目的が決まり、行動を開始させた。
隠れながら進んだ。
強靭な肉体も体力もない。
捕まる以前に見つかったら終わりだと考えた。
暫く歩いていると同じツアーにいた人を見つけた。
疲れ切った様子で座り込んでいる。
鬼ごっこの直後だろうか。
青年がその人に近づいて声をかけた。
「ビーフが鍵だよ」と笑顔で教えていたが相手には何の話か伝わっていないようだった。
女の人が苦笑いを浮かべて「大きな人には牛肉料理を与えたら良いのよ」と言った。
歩いていると丘まで来た。
入口付近を一望出来るがあちらこちらで鬼ごっこが繰り広げられていて、良い眺めとは言い難かった。
「バス停があるね」と地獄絵図に青冷める二人へ私は話しかけた。
時刻表を見るともう少しでバスが到着するようだ。
向こうでエンジンの音が聞こえ出した。
定刻通りにバスは来た。
出入り口が開いたが誰も降りて来ない。
このバスは園内を巡るもので、最初に乗ったバスは園内に入るまでの乗り物だったそうだ。
「牛肉売り場はどこですか?」と女の人が運転手に尋ねた。
「そりゃあ二つ目のエリアだね」
「歩いて行けますか?」
「何の為にバスがあると思ってるんだい? 遠いよ」
そう言われてバスに乗ることにした。
車内はパーク外の路面を走るバスと変わらない内装だ。
誰も乗っていないのかと思ったがお客が一人、一番後ろの席にいた。
窓側に座った私は外を眺めた。
今までの出来事が嘘のようである。
道路と脇の木が一直線に延びていた。
「50分までに集合場所に行けるかな」と前の席に座る青年が言った。
「それまであの人たちに捕まらなければいいけれど」と小さな声で言った女の人は私の隣の席にいる。
窓から彼女に視線を移せば苦しそうな顔をしていた。
「車内販売は如何かな?」
突然見知らぬ老婆が話しかけて来た。
私たちは老婆を訝しげに見たが、彼女が押すカートを見ていたら何かが欲しくなった。
「何があるんです?」と女の人は尋ねた。
「美味しい食べ物や飲み物があるよ」という返答に青年は目を輝かせた。
「じゃあ牛肉ください!」
すると老婆は噴き出して次第に腹を抱えて笑い出した。
「坊やは車内販売で牛肉を売ってるのを見たことあるのかね。ちゃんとこのバスは目当てのエリアに向かっているんだから、そう焦るんじゃないよ」と。
青年は見て分かるくらい落ち込んだ。
「喉が渇いたわ。何がおすすめなんです?」
女の人はカートの中を眺めた。
ジュースと珈琲があるそうだ。
「小腹が空いたからポテトチップスがいいな」と立ち直った青年が言った。
「ポテトチップスは500円だよ」
「ぼったくりだ!」
「園内だからね」と老婆はまた可笑しそうに笑った。
「ジュースはいくらです? 300円くらいですか?」
と私が聞くと老婆は涙を拭いながら大きく頷いた。
「園内だと妥当だろう?」と。
私と女の人はジュースを注文して、青年は何も頼まなかった。
「それは印だね?」
少し間を置いて老婆が鼻を鳴らした。
私たちは老婆を見ると彼女は得意気に腕を組んで何度も頷いていた。
どこに何の印があるのか分からなかったが、突然注射された箇所が熱を持った。
「これ、ですか?」と女の人が。
「あいつ怖かったろう? だから逃げ出す奴が多くてね」老婆はにたにた笑いながら私を見て、それから青年を見た。
彼を見ると残念そうな顔になり、私たちに向き直ると笑顔になった。
「これは印だ。よかったね」
ネタメモ
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